我が尊敬する、mrs.KOKIさんコメントありがとうございます。
敬意を表し、コメント全文を再掲します。
>構成人200余名の法定団体(斜老師会ではありませぬ)の定期総会で、お定まりの1号議案終了後云々の時点での「緊急動議」提案なく通常の質疑応答で突然提案発言、議場に賛否を問えと要求に、思わず議長は「今の提案に賛成の・・」とのたまわれたのです。議案書も委任状もへったくれも・・。当然のことながら当該団体には「斜老師会」と同様、諸規則集もあります。
団体で物事を決するには、それなりの常識やらセオリーやら鉄則などがあるはずなのですが、どうも欧米に比べて(というほどエラそうなことは言える立場ではないのですが)民主主義が身体に染み着いていないようです・・・
やはり、元々農耕民族だったからでしょうか、話し合えばわかるという理屈でその場しのぎを積み重ねていくのかもしれません・・・
あるところで次年度ガバナーに関してスッタモンダしているようです。なんとペッツが別々に2回も行われているとか・・・
sr-jinjinさんのブログにも載っていましたね
『都道府県会の理事を、投票で選ぶことって そんなに 素晴らしいことなのかなあ』
そうねえ・・・
そもそも、我々は「民主主義」とか「投票」とか「選挙」というような概念をいったいどこで学んだのだろうかねえ・・・
世代の差もありそうであるが、本来、小学校、中学校あたりで「きっちり」学ぶべきものではあったろう・・・
その「きっちり」というのは決して試験の点数では表せないことは大人になってようやくわかった頃には、あまり話題にもならず日常生活に埋没してしまうのであろう
中学校社会 公民
中学校で習う社会科 公民(こうみん)とは、日本の社会のしくみなどについて学習する教科である。たいていは中学3年生になってから学習する。公民は大きく3つの分野に分かれる(下の学習単元・内容を参照)。それぞれの分野の学習内容は高等学校の内容の基礎であり、高等学校の内容と重なるところが多い。
それで、例えば「団体で物事を決する」ような場面で、自分のことは棚に上げて、他人が『きっちり』していないことに、熱く&暑く&厚く&篤くなる人がいるのであります・・・・
(決して「悪い」と言っているのではありませぬ・・・なんというか、ロートルの方がいまだエネルギーがあったりするということをいいたいような・・・)
大昔、役員を選ぶのに初めて「選挙をしよう」ということになった・・・
今まで、ワケのわからないまま役員が決まっていることに疑問を持ち、「「投票で選ぼう」と押し切ったのである・・・
しかし、はたと具体的な選挙方法を実施するに議論が伯仲して踊ってしまい、船が陸の上を走ることになったことがある・・・
「清く正しい選挙の方法」なんて誰も知らなかったのである・・・
例えば、15人を選ぶのに、全会員の名前の載った表を作成して郵送し、良いと思う人から順に1から15までの番号を記入して郵送で投票してもらう・・・
「え~、誰が集計するのオ・・・合計して番号の一番小さい人から選ぶんだけれど・・・」
まあ、時間をかければできるのであるが1回で終了・・・
また、定員5名で5人の立候補しかないので、信任・不信任を問うことになったのであるが、どうやって民意をはかるのか、という小学校以来の大問題で大議論になった・・・
ある人は
「信任は○、不信任は×、どちらでもない場合は△をつける。」
という方法をかたくなに主張する・・・
別の人は、
「不信任のときだけ×をつける。それ以外は信任とする。」
と言ったが、それはおかしいという・・・
「やはり○も×も付けなければダメよ。」
「あんたは、消極的賛成ということが分からないのかね」
延々と議論は続いたような記憶がある・・・
一言でいえば未熟だったのであるが、それでも「長老・実力者が人事を決める」という陋習を打破したつもりになったのである・・・
しかし、最近、次の世代に伝える内容に自信がなくなった、というか空虚なものを感じるのであります・・・
まだロートルの多い我が業界ですが、誰もがICTを駆使しツイッター(そのころにはもっと新しいコミュニケーションの方法も出てくるでしょうが・・・)などで意見交換・意思確認をしあえるような時代になれば、ソ~カイの会場でスッタモンダするのを懐かしがるのかもしれません。。。
やっぱり、なが~いモノに巻かれると楽なんだろうかねえ・・・
我々の業界も、大半がその場には居合わせないにもかかわらず「賛成多数」というか、いつの間にか事業計画が決まったりするのであります・・・・
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